すし検定

 

 

すしの歴史

 

 握りずしの誕生
  • 握り早漬け
    創始者と伝えられる華屋与兵衛の曽孫にあたる小泉清三郎らの記録によれば「握るすし」というのは与兵衛以前にもあった。しかしそれは、小さく握った飯の上に魚を貼り付け、箱の中で笹の葉の仕切りはしてあったが、要は、箱ずしである。
    この手間と、押し付けることで魚の脂分が抜け出てしまうのをきらった与兵衛が考えついたのが、現代われわれが考えるような握りずしだった。当時は「握り早漬け」と呼んだという。

 
 江戸前寿司とは
  • 江戸前という言葉を最初に使ったのはうなぎ屋だった。
    徳川家康は江戸の街づくりに取り組み、石神井川の流れを付替えた。
     江戸城の前の浅い海を埋め立てて土地を造成した。現在の宮城前、
    馬場先門の辺りが沼に変わった。
    その後この沼でたくさんのうなぎが取れるようになった。
     人夫たち(大工工事)は昼飯の惣菜にと、このうなぎに目をつけた頭
    の良い人物がいて、うなぎに味噌をつけてブツ切りにして竹串にさし、焼いて売り大儲けした。江戸(城)前のうなぎの蒲焼の誕生である。
     そのうちに、「江戸前」の呼称は江戸の前の海で捕れる魚介類の呼称となった。

  • およそ文化年間(18181830)に、江戸で誰かが思いついたものらしい。それまで、すしは江戸でももっぱら関西流の押しずしだったのである。屋台の店のすし職人の誰かが、思いついてすし飯に刺身をのせ、握って、インスタントのすしをつくったのではないか、と思われる。
     すでに箱ずしも押してその場でただちに食べられる早ずじが大阪で人気を得ていたのだから、押しずしを切り分けたひと切れのすしがヒントになったのだろう。
     押しずしは本当は押してから少し時間がたった方が、具とすし飯が調和して旨い。しかし気の短い江戸っ子には、悠長な食べ物は気に入らなかったとみえ、目の前で握って即座に食べられる握りずしがあらわれると、たちまち爆発的な人気をとったらしい。

 

すしのダネの四季

  10 11 12

赤身

近海本マグロ      
メジ・チュウボウ

 

チュヴ

ボウ    メジ  
カツオ    
 
白身 マダイ
ヒラメ
カレイ
スズキ

フッコ

シマアジ
カンパチ
ヒラマサ
ブリ・イナダ

ワカシ

イナタ

 
 
光もの コハダ

シンコ

アジ
サバ
サヨリ
キス
アユ
 
煮もの アナゴ
マダコ
シャコ
ハマグリ
イカ ヤリイカ  

スルメ

イカ
 
  10 11月 12

貝類

赤貝
ミル
トリ
アオヤギ
タイラギ 貝
ホタテ
アワビ
トコブシ
ホッキ
 
イカ スミイカ
アオリイカ
 
エビ クルマエビ
アマ エビ
 
その他 ウニ
イクラ

生イク

ハモ
シラウオ

すしのQ&A


お寿司は、どこからどうやって日本にきたのですか?

「すし」は、日本古来の伝統ある食べ物で、天ぷら、うなぎの蒲焼きと共に江戸前料理の三味(さんみ)として、江戸時代からずっと長く親しまれてきましたが、今から約1700年前に、東南アジアから中国を経て日本に渡来したようです。

 

すしの語源を教えてください

「すし」の語源は、酢で和えた「めし」すなわち「すめし」の真ん中の「め」がいつのまにか抜けて、「す・し」になったと言われております。

 

どうしてお茶のことを「あがり」と言うのですか?

これは花柳界からでた言葉で、本来は一番最後に出す「お茶」のことを「あがり」。はじめに出す「お茶」は「お出花」というのが本当ですが、いつのまにかお茶全体のことをすし店では「あがり」と言うようになりました。

 

お茶はどのような効き目があるのですか?

お茶はすしを食べたときに口の中に残る魚の味をお茶で洗う。
次にすしをまた,あらたに味わせるという目的をもっている。
すしを美味しく食べさせようと思ったら
 イ、煎茶の良い物や玉露になると甘味が味覚をマヒさせ、すしの味をまずく感じさせる。
 ロ、美味しく食べさせようと思ったら「ほうじ茶」や「番茶」の良いものの方が合うということ   も言える。
そこですしに添えられるお茶は
 イ、すしを食べている間は旨味の少ない「ほうじ茶」が合う。

 ロ、食後として出すお茶は、旨味のあるお茶であっても良い。

 

すし屋の湯飲みはなぜ大きいのですか?

明治・大正・昭和の初めは、「屋台のすし屋」が多く、保温のためと、お代わりをあまりしないように一度に多くの量を給仕するようになったようです。

 

軍艦巻きに醤油をつけるときはシャリにつけるのですか?それともネタにつけるのですか?

,江戸前すしのすしダネは下処理をして、味付けをほどこすのがあたりまえです。
従って、全てのすしに醤油をつけたら、違った味を楽しむことが出来ませんので、醤油はできる   だけ少なくして、召し上がってください。
本来はすしダネにはそれぞれ違った味付けがしてありますのでそのまま召し上がれるように なっています。醤油をお付けになられるならば、補う程度にシャリの方につけて召し上がって ください。
醤油のつけ方についての質問ですが、難しく考えないで下さい。軍艦巻握りの場合は、
 「ガリ」に醤油をつけて、それを軍艦巻きのうえにつけて召し上がる方法もあります。


ヘルシー大辞典・味覚の王者

知ってて便利、しらなきゃそん!そん! すしのヘルシー大辞典のコーナーです。代表的なすしのカロリーと、その栄養的な効果をまとめてみました。高タンパクで、低カロリー、低脂肪のすしはビタミン、ミネラル、脂肪酸を摂取することが出来ますから、ダイエットや成人病の予防に最適です。
すしのカロリーは、標準的なすし1個分(すし飯20g で30.5kcalを含む)で表示してあります。

 
すしタネ よみかた カロリー

ひとこと

海老 えび 44.6kcal 幅広い年齢層によいすしネタ。コレステロールを減らすタウリンを含む。
甘海老 あまえび 35.8kcal 海老の中では低カロリー。コレステロールを減らすタウリンも多い美容食。
鉄火巻 てっかまき 24.4kcal 赤みの良質なタンパク質と、海苔のミネラルが合わさったバランスのよいすし。
さけ 59.9kcal ビタミンDと、ビタミンB群を多く含む。骨粗鬆症や口内炎の予防に。
あじ 52.1kcal コレステロールを減らし、成人病予防の効果で期待されるEPAを豊富に含む。
河童巻 かっぱまき 17.2kcal 口直しによい低カロリーなすし。きゅうりと海苔でミネラル摂取に効果。
鱈子 たらこ 39.6kcal ビタミンB群を豊富に含む食品で、新陳代謝をよくする働きがある。
干瓢巻 かんぴょうまき 27.5kcal 巻物の代表格。かんぴょうは夕顔の果肉を乾燥させたもので、食物繊維が豊富。
海胆 うに 43.4kcal 粘膜を丈夫にし、肌荒れや目の疲れに効果があるビタミンAが多い。
いくら いくら 52.9kcal 栄養価が高く、タンパク質やビタミンに富む。コレステロールがやや心配。
数の子 かずのこ 41.9kcal ニシンの卵の塩蔵品。今のところ栄養的な効果は未知。塩分には注意が必要。


すしのこぼれ話


森の石松の食べたすしは?

大坂で買ったすし
講談や浪曲で演じられる「石松30石船」は、「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」「食いねえ、食いねえ、すし食いねえ」の名セリフでよく知られている。芝居などではこのすしは江戸前風の握りずしとして仕立てられることが多いが、この場面は金毘羅代参を終えた帰り道の、大坂から京都伏見に向かう淀川の船上でのできごとで、次郎長一家を誉められた石松が乗り合い客に勧めたのは大坂で買ったすしだったことになる。

「押ずし」である
先代広沢虎造の口演では、「八軒屋から伏見へ渡す渡す船・・・(中略)・・・これへ石松さんが乗り込んで・・・(中略)・・・大坂本町橋名物の押しずしを脇へ置いて酒を呑み、すしを食べ・・・」と、「押ずし」であることを明言している。

大坂で江戸前握りずしは売られていた
大坂に初の江戸風ずし(握りずし)屋ができたのが文政の終わりごろ(1820年代後半)。石松の金毘羅代参は文久のころ(1860年代前半)であるから、大坂本町で江戸風の握りずしが売られていても不自然ではない。

 

遊郭と化粧笹

笹の葉
すし同士が接触するのを防ぐために置かれる笹の葉のこと。『守貞漫稿』(嘉永2年<1849>)にその記載があり、江戸ではクマザサ、京坂ではハランを好むとある。
笹にせよハランにせよ、単なる仕切りだけではなく、そこに職人の包丁の腕を見せるため、さまざまな細工きりが施された。これがいっそうすし盛りを豪華に見せる。

台屋(遊郭)のすし
この盛り付けを半ば悪用したのが、「台屋(遊郭)のすし」で、笹をたくさん使い、少ないすしで豪華に見せた。

虎が出る
「台屋から 虎の出そうなすしが来る」の川柳は、虎が出てきそうな竹薮さながらの笹まみれ状態を表現している。


静岡県地方のすし

地方には今日まで伝わる昔ながらの寿司を漬ける風習が残っております。

切りだめずし(静岡県)

  1. 名称の由来
    静岡県中伊豆町で顕著に見られるすし。同町内で最も盛んに作られる地区の名をとって、「原保ずし」(わらぼずし)とも呼ばれる。
    「切りだめ」とは浅い木箱で、つき上げた餅を収めたり、切った餅を並べておいたりする。
    西伊豆の松崎町でも、「ホイ盆(餅箱)で同様なものを作り、「おっつけ(「押しつけ」の意味か?)ずし」と称している。

  2. 作り方
    この「切りだめ」にすし飯を敷いて軽く押さえ、そこにヘラで薄く筋目をつける。筋目は格子状で、長辺を6〜8等分、短辺を4〜5等分するくらいの大きさである。次に、このマス目に従い、甘く煮付けたシイタケ・ニンジン・ササゲやそぼろ・卵焼きなどの具を置いてゆく。

  3. 供し方
    食卓へはこの「切りだめ」に入ったままの状態で出され、杓子を削って作ったヘラ(調整時に飯に筋目をつけたもの)が添えられる。
    食べる側はこのヘラで、好みのマス目部分を切り出し、すくい起こして個々の皿に盛る。

  4. 特徴
    このすしは、形態的には混ぜずしの類になるが、箱に詰めた飯に押圧を加える点で箱ずしの要素も併せ持つ。
    また、最大の特徴は、箱に作ったすしを箱から出して切り分けるのではなく、木ヘラですくい起こす点にある。実はこの方法は、19世紀初頭の料理本に見られるものである。

  5. 箱ずしから混ぜずしへの変化
    享和2年(1802)の『名飯部類』に、通常どうり箱ずしを作った後、すしを箱から抜き出さずに、さじや箸ですくい起こす「起こしずし」というものが紹介されている。大阪では「すくいずし」の名で商品化もされたというから、世に好評を博したのであろう。ともあれ、これが箱ずしから混ぜずしへの変化の第一歩だったことは疑うことはできない。
    その意味では、この切りだめずしは、混ぜずしの発祥期における形態を持っていると言える。

  6. ちらしずし

    炊き込みご飯や混ぜご飯を見て、「ここに合わせ酢を混ぜれば、ちらしずしになる」と思われた方はいないだろうか。
    実際にこれをやってみれば、とりあえずちらしずしの体裁と味は整うから、ちらしずしの発祥を炊き込みご飯や混ぜご飯に求める見方もある。いや、現実にはこうして生まれたちらしずしもあるだろう。
    しかし、すしの歴史の流れを見る時、非常に面白い発生エピソードがある。原型は、箱ずしだという。
    箱にご飯を詰め、上に具を貼って押し、それを抜き出して小切りにする。ご飯と具との位置が逆転することもあるが、箱ずしの作り方は、だいたいこうだ。
    ところが、無精な者もいたもので、この「箱から抜き出して、小さく切り分ける」という工程を省略してしまった。押しをかけた後にふたを開けて、そこにできあがっているすしを、匙(さじ)ですくい取るのである。匙で寿司を起こすから「起こしずし」と呼ばれたこのやり方は、大坂の堂島では「すくいずし」と名付けられて商品化されたという。この話は、享和二年(一八〇二)の『名飯部類』に載っている。
    せっかく押しをかけて固めても、匙ですくいだされては、すしはバラバラになってしまう。さればいっそのこと、最初から押しつけなければよい。こうして、ちらしずしが生まれる。
    すしは、箱ずしはもちろん、姿ずしも巻きずしも稲荷ずしも握りずしも、多かれ少なかれギュッと押しつける工程を持っている。ちらしずしだけが、唯一その例外。だから、このすしの「発明」は、すしの歴史の中では画期的とも言える。
    箱の中にすしを作り、それを木ヘラですくい起こすという、まさにちらしずし発生直前の様子を思わせるすしを、現在、私はふたつ知っている。ひとつは静岡県中伊豆町の「切りだめずし」。盛んに作られる地区の名を取って「原保(わらぼ)ずし」とも呼ぶ。いまひとつは、兵庫県但馬地方の「まつぶたずし」。「まつぶた」とは「切りだめ」と同じく、すしを入れる浅い木箱のことだ。 画期的な発想は、細々とながら、受け継がれている。

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げんなりずし(静岡県)

  1. 名前の由来
    静岡県東伊豆町稲取地方に伝わるもので、形態的には押しぬきずしに属する。名前の由来は、あまりの分量の多さに、食べ手が「げんなりする」ところから、という説と、祝い事だけに「ゲン〔縁起〕がよくなるように」と願って、という説がある。

  2. 用いる道具
    一合桝ほどの大きさの容器にすし飯を詰めて固める。用いる道具には底板が無く、外枠と上から押さえつける落とし蓋で構成される。よって、道具は、「すし箱」というより「すし枠」「押し抜き型」と呼ぶのが妥当かもしれない。

  3. 作り方
    一合桝ほどの大きさの容器にすし飯を詰めて固め(中には甘煮のニンジンなどを仕込む)上に具を貼ったものである。
    具は、マグロ刺身・そぼろ・卵焼き・甘煮のシイタケで、そぼろは白いままのものと赤く色つけしたものの2種類を準備して、合計5種類の具とする。
    すしは、この5種類の具をそれぞれ別々に貼りつける。したがって、具の異なるすしが5点できるわけで、これで1セットとなる。
    マグロ刺身も卵焼きもシイタケもすしの上面を覆うような大きさに切ってあり、これを小切りにしておくことはない。魚屋でマグロを買う場合、「げんなりずしにする」と言えば、ちゃんとすし枠の大きさに合わせて切ってくれる。

  4. 用途
    主に、結婚式や上棟式などの祝事に作られ、先の5つのすしがまとめて皿盛りにされる。折り詰めとなって引き出物に用いられることもある。

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サンマずし(静岡県)

  1. 由来
    伊豆の南部海岸地方で作られる。「姿ずし」と称して売られているものあるが、実際には頭を落としてあり、完全なる姿ずしではないことが多い。
    周辺ではサンマのすしはめずらしく。一説には、紀州の漁民によって、風待ち港だった西伊豆の田子の地に伝えられたのだという。
    確かに和歌山県や三重県の熊野灘沿岸ではサンマずしの習慣が顕著である。

  2. 作り方
    サンマは腹開きにして内臓を取り、塩で締めた後、背骨をはずして酢締めにする。このサンマにすし飯を抱かせ、魚の姿状に戻し、巻すで成形する。生臭を消すため、飯に刻みショウガを混ぜたり、魚身の上に薄切りショウガをあしらったりすることがある。
    現在はこの状態で供されるが、かってはこれをたくさん箱に詰め、落とし蓋をして一晩重石を置いた。結納の時などには、これを箱ごと媒酌く人に贈ったものだという。
    下田市白浜の白浜神社の秋祭り〔10月下旬〕にもよく作られ、このころのサンマが、すしには一番よいとされる。

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田子ずし(静岡県)

  1. 由来
    静岡県西伊豆町の田子地区に伝わる箱ずし。田子は古くから漁港としてにぎわっていた。風よけの港で、江戸とか上方を結ぶ舟の避難港でもあった。
    この地に箱ずしがあるのは、一説には関西の箱ずし文化が漁民によって伝えられたからだとも言われる。

  2. 作り方
    海辺の街であるが、生ぐさは使わない。具は、シイタケ・カンピョウ・コンニャクなどを甘く煮たもので、いわば五目ずしの具と大差ない。キッチリ押さえてあるため2〜3日は日持ちすが、日が経ったものはあぶって食べることもある。

  3. 特徴
    このすしのユニークな点は、他の箱ずしのほとんどが、飯の上に具が乗るように作られるのに対し、ここでは具の上にさらに飯を乗せることであろう。
    箱の中で、具の層の上下にすし飯の層を作り、結果、切り出したすしは、飯の間に具がはさまっている。まるでサンドウイッチのような状況を呈する。
    箱の中に敷くのは山ミョウガの葉である。通常、ミョウガ葉は冬場に枯れてしまうが、伊豆の山ミョウガは、1年を通じて緑の葉を出しているという。

  4. 希少な存在
    実はこうしたサンドウイッチ状にするのは、享和2年(1802)『名飯部類』の中に紹介されており、目新しい技法ではない。が、現在の箱ずしはいずれも飯の片側にしか具がついておらず、田子のすしは希少な存在と言わざるを得ない。

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ヤマメずし(静岡県)

  1. 静岡県静岡市の最北。静岡駅から車で走ること2時間。南アルプスの山懐で、大井川最上流部に位置する静岡市田代地区では、毎年8月に諏訪神社の祭礼、通称「ヤマメ祭り」がおこなわれる。ここで奉納される神饌のひとつを一部の学者が「やまめずし」と名づけた。これを、日本では唯一粟飯を使った姿ずしとして注目したのである。

  2. 祭りの幕開けは8月20日始まる。当番に当たった者はこの日、まだ夜も明けきらぬ早朝から、田代の本村からさらに大井川をさかのぼった明神谷でヤマメ釣りをおこなう。神饌となるヤマメはここで捕る決まりとなっており、そのため明神谷は、ふだんは禁漁になっている。

  3. めいめいに別れ、奥の谷まで入り込んでヤマメを釣っていた男達は、正午近くになるとカヤゴヤと称するやや開けた川原に集まってくる。ここで、長さ2メートルほどの細い丸太3本を組んで立て(これをカワクラという)、その中央に、釣ってきたばかりのヤマメを腹出しして吊るす。そして正午丁度に一同がカワクラの前に座し、長老もしくは氏子総代が大祓の祝詞を奉上する。この儀式が終わるとちっとした直来があり、ザコ(小魚)のぶつ切りやハラワタの味噌あえを肴にして酒がふるまわれる。

  4. その後、ヤマメはカワクラから降ろされ、口と腹にイタドリの葉詰め、ツガの樹皮とシナの紐で梱包されて田代本村にある宮司宅まで届けられる。棒の中央につるしさげられたこのヤマメは、二人の男の手のよって交代で運ばれ、ヤマメの包みがけっして地に着けられることはない。

  5. 作り方
    祭礼日は8月26日、27日で、その1週間ほど前に、ヤマメを釣っておく。
    アワを炊き、冷めたら塩味をつける。ヤマメはアギ(エラの裏の赤い部分)を取り、腹にアワを詰め、桶に並べる。一段並べ終ったらアワをふり、またヤマメを並べる。この時、ヤマメは一定方向を向けておく。最後にふたを置くが、重石はしない。

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混ぜずし=五目ずし(静岡県静岡市用宗)

説1
 今川氏の家臣は周囲を駿河湾、、断崖絶壁の当目峠の山、大河安倍川に囲まれた旧長田村(現在の静岡県静岡市駿河区用宗)に身分、姓名をひたすら隠しに身を伏せ漁民、農民となり村に土着したのであります。今川氏の家臣たちは京の都に思いをはせ、夏祭り「祇園祭」を今川の文化として住民に残し、今日まで受け継がれております。又、今川、武田に仕えた、向井水軍は伊豆 戸田村 と同様持舟湊(用宗港)に伊勢の漁業の技術を後世に遺し、今も 戸田村 の漁業者とは交流があり、鮪、鰹漁業からシラス漁船として引き継がれ全国的ブランド「用宗のシラス」を残し、住民の生活の糧となっている。現在の用宗、石部、広野、小坂の各村は年1回の五穀豊穣、海難祈願等と戦国時代に持舟城で育った築山殿、長男信康、山中で戦い散った今川家の家臣や徳川の家臣達を供養する祭りが628日「祇園祭」として盛大に行われております。この日は各家庭では家康が三河から、向井水軍が伊勢から持ち帰ったとされる「混ぜずし」別名祭りずしを漬ける習慣が今日まで受け継がれている。 

 

説2
人質時代三河へ一夜でいいから父の墓参りをしたい願い、今川の役人に見付からないようその道案内をした人物が「道」という姓であった。竹千代は持舟の湊から密かに岡崎に向かって墓参りを済ませ無事帰途に着いた。出世した家康はこの恩に報いるため、広野の「道」家を「味知」家と名を名乗がよし。舟を提供した石部村の住民、小坂、用宗各村の者にも田畑を与え、三河地方に伝わる精進料理の「混ぜずし」を各村に教え伝えたとされている。
各村は6月の祭りの時このすしを漬ける習慣が今なお引き継がれている
 

説3
家康公が広野村(駿河区)へ鷹狩りに出掛けた際、昼食を家臣の家から献上された。このすし弁当がとても美味しいので、その家臣屋敷に立ち寄ったところ、その家の庭に一本の大きな柿の木があった。食通の家康公は、その柿を食したところとても美味しかったという。そこで家康公は、昼食も美味しいし、柿も美味しかったため「この家の姓は今後味知と名乗れ」と言われ今日に至っている。味知家に伝わるこの柿は、以後毎年917日に久能山に献上する慣わしとなった  

 参考
混ぜずし(鹿児島県)

  1. 別名「すもじ」
    このすしは「すもじ」と呼ばれることがある。「すもじ」とはすしを表現する古語で、宮中の女房言葉である。江戸時代、外様になった島津家が、幕府の隠密に領内の情報が漏れることを恐れ、平安言葉を参考にして単語を改変したことが、独特な薩摩言葉の起源である。

  2. 材料と 作り方
    どちらかと言えば春先のもので、その手軽さから、卒業や入学の祝い事や花見などで好んで作られてきた。材料も、生ぐさものはつけ揚げ(薩摩揚げ)やこが焼き(魚のすり身を入れた卵焼き)ていどで、あとはニンジンやシイタケのほか、タケノコ・キヌサヤなど季節の山野菜が彩りを添える。タカナ漬けや「つぼ漬け(ダイコンの醤油漬け)」を刻んで混ぜることもある。
    たくさんの具がにぎやかに混ざるすしとは対照的に具の少ないものもあって、ゆでたダイコンの葉と、つけ焼きした魚のほぐし身だけで作る。これはこれで、さっぱりした味わいである

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五目ずし(遠州)
静岡県西部ではほとんどが干瓢と椎茸で、海苔、人参、蓮根、紅生姜、玉子、竹輪、おぼろ
なども少しは使われる。まれにごぼうや蒲鉾、油揚げ(ことに浜名湖北岸地区)も使われる。遠江は太平洋岸に面しているがろくな漁港がないので、一般に魚は不自由している。(昭和44年時点)

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五目ずし(静岡市)
 各地方で具の種類が違っても作り方には散らしの押しすしである。
 今でも各地の旧家では作られている。
 江戸の末期頃まで桶に入れて名物として有度村には売っていた店もあった。

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長門鮓(静岡市)

桶鮓
種類は五目すし(チラシ)の押し鮓である。

五目すしの具は人参、蓮根、椎茸、コンニャク(以前は凍コンニヤク(乾燥))、たけのこ、わらび、乾燥八ツ芋の茎(芋茎)等を甘く煮付けする。
興津鯛(アマタイの天日干し(一夜干し)を、少々焼き、酢〆にする。そぎ身(ほぐし)にして、飯台で五目の具と混ぜ合わせて、蓋で押し
重石をする(馴じませる)。
〆酢は梅酢を使用。

舎利の酢は白梅酢
を使用
小さき桶にすくい起こして入れた。
容器は木製で、直径10cm、深さ7cmほどの竹のタガをはめた蓋付小桶で蓋を重
し代わりにしていた。

 


江戸時代の俳諧・狂歌・笑話等の作品集

 

石田未得の「吾吟我集」(慶安2年)に
  ◆石かれい石もちなどと重ねつつ
         みさごの鮓のおもしにやする

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織田信長が皇居造営に際し、滋賀県から人夫を多数集めて石をはこばせたおり、
京童は、
  ◆生成のすしにも似たる近江衆
          石を重しと持たぬ日はなし
 と一首ものした。この歌は同時に当時の京童が、すしといえば生成を連想したことをも暗示する。

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●京都誓願寺の安楽庵策伝が所司代板倉重宗のために編んだ笑話集「醍睡笑」(寛永5年1628)はすしの説話も数々集録されており、当時のすしの面影がわかって面白い。たとえば
  ◆破戒坊主がアユずしを剃刀となつけてひそかにたしなんでいた話。
  ◆小僧がすしづめになって寝ているのを老僧がひやかしたら「このように腹に
    飯の入ってないすしは知らぬ」と答えた話。
  ◆川を徒渉して、泳ぐ魚をアユかと問うたら「アユにしては飯つぶが付いてない」
    と答えた話。
  ◆僧と相撲として敗けた男が「こんなにすし臭い坊主は初めてだ」といった話。
  ◆雷のすしを食べたら「雲臭かった」という話
 すしが京の町ではアユが主流であり、それが生成で腹に飯が詰め込んであった。
 また僧院でも内密にすしが漬けられていたことなどが分かろう。

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●この時代の俳諧狂歌を見てみると、「古今夷曲集」(寛文6年1666年)には
  ◆子供をば鮨にするほど持ったれど
             いひがなければひ干しぞする
  ◆仏にはまだなまりの魚の鮨
             菩薩界までおしかかりたや   
  ◆鮎くての後の心にくらぶれば
             むかしは鮨もおもはざりけり
  ◆魚篇に春加ははれる鮨だにも
             すきなお口に飽かれやはする
  ◆近江鮒宇治丸鮎の鮨もあれど
             おされぬ味は鰆なりけり
  ◆数おほふ江鮒のうろこ福島の
             人は仕馴れてよいすずめ鮨
  ◆青たでもそへてはなさん羽なくて
             飛ぶほどうま雀ずしとは
  ◆秋風のふく島人のをどる(踊)とて
             すずめ鮨ほどあつまりにけり

 

 

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